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娘のことなど [エッセイ]

夕方家に帰る時、向こうから娘が歩いてくるのが見えた。娘の方が先に角を曲がり、家に着いていたが、帰るなり「駅の前にいなかった?」と聞かれた。気付いていたらしい。

娘は高校から帰って来たところだった。本人の希望で美術を専攻しているのだが、これも私の勧めたことではない。小さい頃から勉強という勉強が嫌いで、私たちも無理にさせず、好きなことだけやらせていた。そして絵を描くことだけは好きだったらしく、ならばそうしなさいと、今に至っているだけだ。

子供をコントロールしようという気は持ったことがなかった。とくに何も期待していなかったし、好きにやればいいと思っていたからだ。将来に対し不安材料を並べて、恐怖心を与えるのが一番よくないと思っていた。のびのびと新鮮に今を体験することが出来なくなってしまうからだ。結局、放任するより他に何もしてやっていないが、健やかだ。それで充分だ。

子供だけでなく、誰に対しても、したいようにさせている。笑いたければ笑えばいい。怒りたければ起こればいい。泣きたければ…というふうに。善の定義など存在しない。ならばなぜ人の言動に善し悪しをつけるのか。縛られると人は縛られまいと頑なになる。そして周りを縛ることで、自分だけは自由でいようとする。ところがその自由は錯覚で、維持するのに大変な労力を必要とする代物だ。縛る者は縛られるのだ。

勝ち続けるために行われる、あらゆる醜悪な言動。それをしなければ勝てないなら、勝つことに意味などない。花はただ咲いて散るだけ。人もなぜそのように生きないのだろう?

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カリメロ

何故なんでしょうね・・・
by カリメロ (2013-09-28 20:59) 

peach

一説に、人の頭部はもともとあったものではなく、進化の過程で別の生き物がくっついた(寄生?)とも言われ、それが葛藤を生んでいるような話があります。私の気に入っている説です。
by peach (2013-09-29 10:57) 

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