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夢、宇宙、虫の声 [エッセイ]

最近一晩に何回も同じ夢を見ることがある。朝起きてある用事をしようとするのだが、どうしても眠くなってまた眠ってしまう。しかしまた目覚めて、「さっき起きたのは夢だったのか」と気付き、今度こそと布団から抜け出す。さてその用事を済ませなければ、と奮起するが、急に眠気が襲ってきて意識が遠くなる。暫くすると目覚めて、二回も同じ夢を見ていたんだと気付く。そしてまた一念発起して用事を片付けようとしはじめると、また意識が遠くなり、また目覚める。これを5~6回繰り返し、やっとのことで、本当に目が覚める。今まで何回も起床したのが全て夢だったと気付く。実際に一度も起床していなかったのだ。そして夢で見た用事というのは、実際には存在していなかった。

夢の見方も以前とは大分違ってきているようだ。飛ぶ夢は数限りなく見ていたが、最近はあまり見なくなった。少年だったころからだんだんと飛ぶ訓練をして来た。最初は下手だったし、落ちる恐怖があったが、最近では夢だと当たり前に飛べるようになった。それが飛ぶ夢をあまり見なくなったというのは、そういう願望も無くなったのだろうか。それと、明晰夢のようなものも少なくなった気がする。夢だと分かってみている夢。私の場合、眠っていない状態で目を閉じていても、次第に外界がはっきりと見え出して、体の中から意識だけが抜け出ていくのが日常的にあった。これも少年のころは、はじめ足などが部分的に持ちあがってくるのだが、成人するころには全身が抜け出すようになった。はじめは抜け出した体を制御することが出来ず、部屋の中をあちこち飛び回った。ほおっておくと何処までも上昇してしまい、上空200メートルくらいで怖くなって、苦労して戻ったのを覚えている。この体は屋根や壁を通り抜けることが出来、どんなスピードでも動ける。しかし地面の中には気味が悪いので潜ったことはなかったが。そしてどんなに遠くへも行くことが出来、ここが宇宙の中心だろうというところまで行ったことがある。そこでは美しくも凄まじい物を見たが、ここには書かない。なぜなら、読む人がそれぞれたどり着く宇宙の中心は、その人だけのものであってほしく、固定観念を持つべきではないと思うからだ。

しかし、宇宙も結局は自分が毎瞬ごとに作り出しているものなのだ。いつも自分の中にあり、それを外側に見ているに過ぎない。人間の目とは何だろう。目があるから認識しているようだが、果たして我々に本当に目なんてものがあるのだろうか。あえて目があるということにしているだけなのではないだろうか。「無眼耳鼻舌身意」と誰か言っていなかったろうか。

秋の虫が鳴いている。鳴き方の異なる数種類の虫の声だ。蟋蟀だったり何かだったりするのだろうが、どれでもいいことだ。次第に夜が深くなってゆく。空気は冷たすぎ、窓を閉めた。

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