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ジャガイモづくりと両親のこと [エッセイ]

みなさんこんばんは。

もう10年以上も前になりますが、ぼくはたてつづけに両親を亡くしました。
二人ともがんだったのですが、父が61歳で亡くなり、その後を追うように母も同じ61歳で亡くなったのです。
まるで、父よりも長生きしては申し訳ないと言うかのように。

実際、母はそういう人でした。父の分も長生きしようというような、明るさとか、元気は、少なくとも父が亡くなった時にはもう失っていたのです。恐らく、父の看病の間か、もしくはその前後に自分も発病したものと思われ、父の死から二年半後に亡くなったのですが、母はもう一人では動けないようになって、自分の死を悟ったころ、ぼくに言ったのです。

「お前を許す。お前をずいぶん恨んだけれど、あんな可愛い孫を二人も見せてくれたんだから、もう、お前を許すよ…」

ぼくは何も言えませんでした。これが親不孝の結果というものなのか、とその時は思いました。

ぼくは特別身体自体がが弱かった方ではありませんが、精神的に明らかに過敏な子供でした。
精神的なちょっとしたショックから、心身に不調を来たし、実際に日常生活が困難な状態になってしまうような子供だったのです。小学校の二年生になったころ、あることが理由で毎日強烈な恐怖に付きまとわれ、学校へ行っても、毎日ひどい嘔吐症状が出てしまうのでした。それでいつもお昼頃には母が迎えに来て、家に帰されてしまうのです。そんなことが続き、二学期の大部分は欠席してしまいました。医師の診断は、身体的なものでありましたし、そのお薬を飲んでいました。でも母は症状が精神的なものに起因しているのではないかと思っていて、医師に質問しましたが、当時の内科では「お母さん、子供がそんな神経性の胃炎になんかなるもんじゃあない」と一笑に付されていたのを記憶しています。ぼくはまた、それがとても恐ろしいことのように感じていました。

結局、成長過程においても生まれつきのこの過敏さは消えることなく、常にさまざまな問題となって現われました。母がそのことにどれだけ心を痛めたのかは想像を絶します。恐らく子を持つ母でないと理解しがたい痛みだったと思います。そして母自身が同じように過敏な性質だったため、その重荷に耐えきれず逆に原因たるぼくに辛くあたるようになって行ったのだということも、今では理解できるのですが、大人になった時、ぼくはたまりかねて家を出てしまったのです。

以来、母は亡くなるまで、心配を通り越して、ぼくを恨んで暮らすようになっていたのでした。

こういう人間の心理というものが、実際に存在するのです。

そして「お前を許す」という言葉は、母が最期の力をふりしぼってぼくにくれた優しさだったのだと、今ではわかるようになりました。10年も経った今です…。


さて、なぜ今日はこんな暗い話を書いたかというと…


DSCF2741.JPG

これ、ジャガイモです!
今年からぼくが育てています。リクエストした小学校5年生の息子も手伝いました。
しばらくほっておいたら、芽は大きくなりましたが、雑草も増えちゃいました。

両親が亡くなった後、ぼくは空き家になった実家に移り住むようになったのですが、畑は完全にほったらかしで、単なる草むらと化していました。しかし夏にはどのみち草刈りをしなければいけないし、畑にしてしまえば作物もとれるし、その部分の草刈りはしなくていい。一石二鳥だということに気が付きました。昔は、親たちは何が面白くて畑をやっているのだろう?と思っていましたが、いろいろとその方が都合が良いのだということに気が付きました。


DSCF2742.JPG

この日は「芽かき」という作業でした。芽が多すぎるとできたイモが小さくなってしまうので、間引くのです。
引きぬいてみると、もう小さいイモが出来ていました。かわいい。


DSCF2743.JPG

そして芽かきの後は「土寄せ」をしておきました。イモが成長して土からはみ出さないように、土を盛っておきます。こうしないと、はみ出したイモは緑色になってしまいます。

こんなことは畑をやってきた人ならだれでも知っていることですが、なにぶんぼくはド素人。ネットで調べて、見よう見まねです。たぶん見ているあなたも、突っ込みどころ満載という感じではないでしょうか(笑)。


でもいいんです。こうやって畑をやっていて、結構楽しいことがわかったし、何となく亡くなった両親のことがしのばれるのです。そして、自分たちがやっていた畑のあった場所で、ぼくがまた畑をやることが、何かの供養になればと思っています。

本当はただジャガイモを作っている様子をアップしようと思っていただけなんですが、自分がどうして畑をはじめたのか、何を思ってやっているのか、書こうとしたら、遠い昔に遡ってしまいました。湿っぽい話の苦手な人、ごめんなさい。


今度は収穫の話をのせられるといいなあ、と思います。






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ハマコウ

ご両親とも若くして亡くなられたのですね

わたしもよくしてもらった叔母とあることを理由に疎遠になっていたのですが 叔母が体調を悪くして入院した亡くなる2か月ぐらい前からしばしば見舞いに行くことができるようになり話もできました 
謝ることができホッとしたことを覚えています


by ハマコウ (2012-05-12 05:57) 

peach

★ハマコウさん、ありがとうございます。
きっとその叔母様も同じ気持ちだったのかも知れませんね。
父も病床で、ほんの子供のころに受けた小さな、それでも父にしてみればとても理不尽な仕打ちのことを忘れられないと、ぼくに言ったことがあります。そういうものを抱えて逝ってしまうより、生きているうち清算してしまったほうがどれだけ幸せかわかりません。ハマコウさんは双方にとって良いことをなされましたね。
by peach (2012-05-12 09:51) 

カリメロ

こんばんは。
とても繊細な、大切なお話しを聞かせてくださってありがとうございます。
私もね・・・色々あるんですよ。
幼い頃は、間違いなく愛されていると実感していながらも、
「どうして?」と悩まずにはいられなかった父の存在。
そして不妊に苦しみ、やっと親になったら、「何で?」と思わずにはいられないほどの、育て難さのある我が子。
今でこそ落着きましたが、仕事柄、父の事も、我が子の事も十分その原因が理解出来るだけに、葛藤と戦いの日々でした。いや進行形かな^^;
それを癒す為もあっての、ブログなんですよ。

でもね、どんなに憎み、恨みたいほど苦労しても、愛しているんですよ母親は。
親不孝なんてとんでもない!
お母様と最後に話しが出来て、本当に良かったですね^^
by カリメロ (2012-05-12 20:20) 

peach

★カリメロさん、ありがとうございます。
この記事をアップした直後におじゃまして、息子さんの書いた記事を見ました。最高ですね。おもしろすぎます!でもいろいろご苦労もあったのですね。でも母子の軋轢について書いた後、あのほほえましい記事に出会うなんて、何だか不思議でした。お母さんであるカリメロさんの言葉、重みがあります。記事にして良かったです!
by peach (2012-05-12 21:30) 

haku

そんなことがあったんですね...
昔は心療内科的なものすら無かったですからね
ジャガイモづくり、きっとご両親も天国から温かく見守っていらっしゃることでしょう♪
by haku (2012-05-13 00:14) 

peach

★hakuさん、ありがとうございます。
特に父親が見ていたら、やりかたに難癖つけてくると思いますね(笑)。
しかし、聞きたいことが沢山あったのに、早々と二人逝ってしまったものです。孝行したいときに親はなし、って言いますけどほんとですね。
せめてできたジャガイモを仏壇に供えたいと思います。
by peach (2012-05-13 01:16) 

ももも

おはようございます。大学時代も社会人になっても、そして今でも根本的には変わらないですよね。私は大変大雑把な人間でしたので、君の繊細さは羨ましかったですよ。だからこそ、こんな絵を描けるんだ、と感動してたし。(私に絵の才能はない)
君の物事の捉え方は私には新鮮でした。私は大学生になって、初めて君の様な人に会ったのです。昔、君は「大雑把な見方が良く出来るね」と私に良く言っていましたが、私にとっては君の方を不思議に感じていたから話すのが面白かったです。
あぁ、こういう考え方もあるのかってね。

どんな自分でも、自分は自分なんだから、そのままを好きでいてあげましょう←昔も言ったが君は私をポジティブ過ぎると呆れていたぞ。
私なんて基本、自分が大好きだ! 今でも!(あ、君に「男らしいなー」と言われたのを思い出した。女子に向かってなかなかなコメント)


母親は「子どもが普通」である事を望みますからねー。世代や地域によって顕著ですね。
私みたいに下の子どもが自閉症で産まれてしまうと開き直れちゃいますが。
でも手はかかるけど、やはり可愛いです。この子が私から産まれた意味もなんかあるんだろうなー、と思ってます←スーパーポジティブ

子どもを愛してるから感情が動く、心配する、口を出す、親ってそんなもんだと思います。
だって、我が子ならみんなに好かれたいし、親がいなくなっても生きて行って欲しいし、恥をかかなくて良いならば、恥をかかせたくないし。
母親はぐーるぐーるしてるんです。だから君は間違いなく愛されて育っている!


話は変わり、畑楽しいでしょ?
トマト、ネギ、シソ、ししとう、ピーマン、ゴーヤ、ナス、きゅうり、この辺りは放っておいても育つから楽しいよー。


「変化する絵」楽しみにしています。パシフィックオーシャン君、懐かしいですねー。
by ももも (2012-05-17 10:00) 

peach

★もももさん、ありがとうございます。

ゆうべも制作中に思っていたんです。(人は)どうしてもっと自分を好きになれないだろう?っていうことを。おそらくそうするだけで、抱えている問題の9割が解決したようなものなのではないかと。問題の中には自分が問題と思うだけで、他人が自分の立場として考えても全く大したことないと思えることが沢山あるんだと思う。しかも問題としている内容も、自分を取り巻く世界に対して自分が抱いている勝手なイメージのひとつに過ぎない。だとすると、それは自分次第で今すぐ変わる筈だよね。いわゆる「現実」っていうのも、ラカンを引用すれば、「想像界」、自分がそうであるとイメージしている世界ってことなんだもんねえ。えっ?これって「空(くう)」ってこと(笑)?でも、このことにぼくたちはすごーく苦労した末気がついたけど、世界のみんながありのままを肯定したら、争う原因は何もなくなってしまうよねえ?これってやっぱり人類最後の打開策なんじゃないかなあ?その上でいろいろやっていけばいいわけです。政治にしても、経済活動にせよ、アートにしても。そうしたら恐らく、全く今とは違う世界になってるよね。思うにそれはいつの日か、というより今すぐ、なんだと思う。世界に対するとらえ方の逆転によって、同時に変わってしまうんだから。そんなことを思ったよ。

そうかあ、君も母親として苦労してるんだなあ…。ぼくは自分ばかりが特異な境遇にあると思い過ぎていた気がしてくるよ。そういうことも教えてもらえて、やっぱりつながるためにはカッコつけずに誠実に真実を伝えてゆくことが大切だと思いました。

えっ?楽しいよーって、もしかして畑やってるの?そういうイメージないんだけど(笑)。うーん、ゴーヤは食べられないけど、その他は好きだね。あ、シソはなんか勝手に生えてるのを見たなあ。いろいろやってみたい気持ちはありますよ、はい。

Pacific OceanくんにはZINE祭りで会いました。いろいろ話が出来て楽しかったです。元気で、相変わらずでしたよ。

by peach (2012-05-18 10:41) 

ももも

おはようございます。
自分好きも線引きが難しい所ではあるかな? 人はコンプレックスや闘争心、欲望等から成長出来たりする生き物でもあるからです。ただやはり心の奥深い所で自分は自分だからと言う意識、このままでも良いと言う気持ちは持っていないと、背伸びし過ぎて潰れちゃうよね。それを土台として色々な考え方や他人を受け入れて人間として幅が広がると良いなと思います。
ま、言うは易しではありますね。考え方はみなそれぞれだからこそ、この世は面白いし争いが絶えないという所でしょうか。
人間はみんな心にカップを持っていて、そこに入る容量の差がみんな違うんじゃないかな、と考えた事があります。形も大きさもみんなバラバラ。入り口が狭いタイプや広いタイプ。それが受け入れる時の時間差にも繋がるのかな、とか。

優しい人ほど、心が揺れる。

同じ言葉でも受け止めかたはみなそれぞれ違う。

それが当たり前なんだと忘れがちなんだろうなー。あと、人間は良く分からないものを排除しようとするのが大多数だから、そこをあえてピックアップしてくれる人を見つけられるかがカギなんじゃないのでしょうかねー。

畑はやってないよー。秩父に親の別荘みたいなのがあって、長期休みに草むしりなどに行きますが。今は母親が通って畑してます。と言っても熊谷に家はなく(売却してしまいました)、父親が亡くなってから母親はこちらに出て来てるんですけどねー。(同居はしてませんが、歩いて10分の所にいます)
たまに私も土をいじりたくなります←元々田舎暮らしだったから


所で、ネームの由来を聞いてみたいな。
どこから来たのかな?
ちなみにうちの次男君の名前候補だったんだよ。静って。
旦那イチオシだったのだけど、産まれた時の顔を見て「ちょっと違う」と感じて今の名前になりました。

今は二人とも私の身長を越して、家族で私が一番チビスケになってしまいましたー。
by ももも (2012-05-22 09:23) 

peach

★もももさん、ありがとうございます。

君らしい、バランスのとれた考え方ですね。
悲しいかな、ぼくには常に強烈に、はっきりとした極論があるだけなのです。極論とは、世間から見たら極論なのであって、ぼくにとっては自明の理なのですが。しかし極論は極論なのであえてここでは展開しません。

カップの譬えはまさにその通りですね。

排除については、嫌と言うほど経験しましたから、今では何も期待していません。しかし最近、生まれて初めて世界観と言うか、世界に対する理解が極めて近い人に会いました。その人もぼくに対して同じ感覚を持ちました。会ったばかりなのに、です。思うに、自分らしくないことをやめて、地で生き始めたから出会えたと思います。このことは今のぼくの支えです。

そうか、お母さんももう熊谷にはいないのだねえ。優しい、美しい母君だということは良く憶えています。母君がぼくのことを才能はあっても世間にもまれて挫折しそうだという意味のことをおっしゃっていたと、二度目の個展のときかな?お聞きしたけど、おっしゃる通り、挫折ばかりの人生を送ってきてしまったよ。「その節はお世話になりました。長い間発表活動から遠ざかっていましたが、とりあえず生きています」と、母君にお伝えください。

名前の由来ですか?これは文章を書くときに、言葉はいろいろと具体的なので、本名で非難を受けたりしないためにもペンネームの方が良かろうと思って、自分で考えたのです。文筆だけこれで行こうと思ったのですが、なんとなくめんどくさくなって、全部一緒でいいや!と絵の方もこれで行くことにしました。この名前にはダブルイメージを持たせることが出来ると直感したのも理由のひとつです。ひとつは町が静かで、のどかな、平穏なイメージ。もうひとつは、なぜか町がひっそりと静まり返っていて、そのことが言い知れぬ恐怖を暗示するということです。ぼくは短編小説みたいなものもいくつか草稿を書いていて、その中にはちょっとホラーというか、そういう要素を盛り込んでみたいと思うのです。スプラッターじゃなくて、淡々としてどこか怖い、そんなものが書きたいな、そんな時にこの二極性を持つ名前はぴったりだな、と思いました。そういうわけです。

うちはどういうわけか、お姉ちゃんがうすらでかくなって、ほとんどぼくと同じになりました。子供の成長は早いよね。


by peach (2012-05-23 00:18) 

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