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宇宙の構造を思う [エッセイ]

私はほとんど子供を叱ることがないが、それでも子供の方は親をこの上なくうざったい存在だと思っているようで、平気で酷い言葉を浴びせて来る。とくに自分だけの世界に入り込んでいる時は邪魔されたくないようだ。私がそうだったからわかる。
親の家に住み、親から貰った服を着て、親の買ってあげた食べ物を食べながら悪態をつく矛盾は何処から来るのか?

答えはこうである。
彼らは自分で望んでここに生まれてきたことを忘れており、別の世界に魂だけで存在していたころの自由に帰ろうとしているのだ。その別の世界が垣間見えるものに夢中になるが、現実に帰ると相も変わらずなことに心底うんざりする。親など最も現実を反映しているからなおさらだ。だが、思春期ぐらいの子供は、そろそろ自由を取り戻すための方法を模索し始めるころだ。そこにも邪魔の入らない思考空間が必要なのであり、単に現実逃避に見えるようでも、現実に対処しようとしはじめている部分がある。そして現実逃避という自由への渇望にとどまらず、自由の獲得へと歩みを進めてゆく時、彼は自己を拡大してゆくのだ。この過程で恐怖に支配されると、自己を縮小することによってしか現実に対処することが出来なくなってしまう。その、多くの大人がはまり込んでいる罠にみすみすはまってほしくないので、私は現実が厳しいとか、罰があたるとか、そんなだといずれ不幸になるとかいう説き方をしないのである。彼らはこのまま怖れることなく生きてゆけば良いのだ。だがいずれは学びのための痛みは知ることになるだろう。それでも決して恐れてはならないのだ。

広い見方をすると、地球の一部であるにもかかわらず、その恩恵を忘れている人間はみな、思春期の子供と変わらないのではないだろうか。人も成熟すれば地球と一体となった日々を送れるようになる。地球とは便宜上そう言っただけで、本当は宇宙と置き換えても良い。全体とも言う。全体の一部が全体を呪っても仕方ないのである。それよりも全体を理解することにより、その構造に精通することが肝要だ。その構造について私の理解していることを書くだけでも一生かかるので書かないが、それは多くの人が認識しているような形の物ではない。また、多くの人は構造について考えたこともないだろう。それはひとくちで言えば複雑かつシンプルな構造だ。それを描写するには無限の時間が必要だが、それを生きるには一瞬も必要ではない。禅の考案をやっているのではない。事実そうなのだ。

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